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平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

3月11日14時46分、三陸沖 北緯38.1度・東経142.9度 深さ24kmを震源とするマグニチュード8.8(3月13日 M9.0に修正)の日本国内観測史上最大の地震が発生しました。世界でも1900年以降5番目の規模の地震だったそうです。
震源から400kmほども離れた東京でも、ここ10年来に経験したことのないほどの大きな揺れが発生しました。

当日は鉄道などの公共交通機関の大半が完全にストップしてしまい、長距離通勤している僕たちは帰宅できずに会社に宿泊、翌日の昼頃にようやく帰宅できました。
地下鉄・私鉄の復旧は早く、特に地下鉄の一部路線は当日の復旧を果たしていたのには驚きましたが、その他の私鉄も翌朝には、急行・特急の運転は休止しているものの、通常の運行に復帰していました。地震当日に早々と当日中の復旧を取りやめたJRは、翌日になっても復旧のめどが立たない路線が目立ち、昼前になって本格復旧が始まった様子です。JRは非情に多くの路線を持ち、長距離路線も多いことから、広域災害からの復旧は容易ではないだろうと思いますが。

自宅の最寄り駅に到着してみると、やはりそこには普段どおりの風景が広がっています。そして、自宅の部屋の中も、台所にある洗剤などの不安定なものが下に落ちていた以外は特に変わった様子もなく、床に落ちて電池が外れた目覚まし時計が2時40分(少し遅れていた)を指して止まっていただけでした。

そして、TVに電源を入れて報道の映像を見た瞬間、たいした被害もないのに電車の遅れにやきもきしていた自分勝手な考えは吹き飛んでしまいました。

ネットでのニュースでも「200〜300人の遺体を確認」「陸前高田市街壊滅的被害」「気仙沼で大規模火災」などの見出しと、断片的な情報は確認していましたが、一夜明けてはっきりと見えてきたその後の惨状は想像を絶するものでした。
「壊滅状態」という言葉がこれほど酷いものであることなんて、この世に生をうけて以降、一度も見たことがありません。もちろん、阪神淡路大震災も凄惨な壊滅状態でしたが、そのさらにもっと上を行く状態だと感じました。

地震の破壊力も去る事ながら、揺れに必死に耐えた家々が「津波」という死神に飲まれ、人が地上に築いてきたありとあらゆる物を死の世界に持ち去っていく様子は恐ろしさに震えてしまうほどでした。ちっぽけな人間が築いた巨大建造物も財産も、地震や津波、台風などの自然災害の規模の前には如何に取るに足らないものであるかを思い知らされます。

当面は震災の惨状、復旧活動、そして福島第一原発の動向に注視し、社会的に支援活動や救援が行われると思いますが、日常生活が守られた被災地以外では、もはや風化が始まりつつあると思います。
現に、地震の直接影響を受けた東京でも、月曜からはいつもどおりの活動を始めることが暗黙の了解ですし、そうしない理由がありません。
そしてさらに数日も経てば、同じ国土でありながら、他所で起こった悲しい出来事、として記憶に留めるフェーズに移ってしまいます。東京直下大地震の危険に、今現在、如何に晒されていようともです。

今まさに被災地で大変な事態に途方に暮れている被災者の方々の身の上は、他人事とはとても思えませんが、社会というシステムの一欠片の立場では、そうならざるを得ず、どうすることもできない自分たちの無力を感じざるを得ません。日々の仕事をこなし前進することで間接的にでも力になっていくしかないんでしょうね。

今はただ、被災して亡くなった方々の冥福、救助を待っている方々の一刻も早い安全確保、被災地の復興を祈るばかりです。

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